ブログ記事一覧
麻薬であるからには、
悪いものの組織が利用しているのは世の常ではないか。
たとえば、今後は、流布しやすい利点のために、
善い目的で使用はするけれども、
コンテンツの内容以上に危険な要素が、同時に含まれている。
それは製作者にはどうにもできないので、
危険な側面についてはあえて言及しないでおく。危険な部分については、各々が個別に対処する責任を負っているものとする、
そんな具合になるだろう。
そして次々と新しい作品が制作されて公開される。
善と悪を、社会ではハッキリ言えないのに、個々人は明確に分けて対処することが求められる。
安全性と危険性を同時に内包したものを、扱わざるを得ない。
これと同じ状態なのが、海水だと、私はイメージする。
海水には、食べ物もあれば、自分の排泄物もあり、
一緒くたにまみれながら棲むしかない状態だ。
卵から孵化する者がいて、すべては先祖代々の屍に触れている。
そこで魚やタツノオトシゴは、たしかに「文句を言っても始まらない。」と言いたげな、
ムスッとした顔をしている。
魚は考える事も放棄したかもしれないが、人間はそうもいかない。
2025-03-22 19:43:00
かけがえのない一日一日を過ごしていることに気付かされる。
見つめる気持ちがあれば、この世は面白い。
自立していれば、「絶対的な」安心はなくても、平気だ。
周りに感謝できるという謙虚さが、思いのほか強靭に
精神を支えてくれるのを知る。
謙虚さと我慢を、すこし混同していたのかもしれない。
自分の感情を測る、こころの計測器の精度が、格段にあがった。
それは依存を克服してからの事である。
自分の謙虚さに栄養を与えるために、
目がいくものが、自然に変わってきた。
溺れるもよし、立ち上がるもよし。
まことに世界はうまくできている。これに安らげないで、他に何があるのだろうか。
しかし、立って這い上がってこそ面白いのだとは言える。
2025-03-21 19:39:00
初めて目に留まるベンチがあって、気に入った。
明色に枯れた小竹の上に夕日がさしていて、昔いたアリゾナの風景を思い出した。
あの時の私と、変わらない自分が息をして見ていた。
きっとずっと、この自分が生きていたんだ。場所も時も違っても、これからも同じなんだろう。それでいい。
2025-03-20 19:38:00
何度か寂しさのショックを受けたりもしたが、
それすらもだんだんと慣れていき、
別の代わりの興味を探すようになった。
何に感心するか、毎回、未知だ。
この間は、「ユズリハ」という木に見とれた。
それから、鹿威しの音は、いつまでも聴いていられるとも思った。
それから、銀杏の新芽は遅くでるのだと知った。
2025-03-19 19:37:00
近くの根津美術館に行って庭園に立つまで5分かかる。
以前は、この5分がとてもとても長く感じられた。億劫だった。厭だった。
今は、「スマホを見ていれば、5分などあっという間だ」と思うようになった。
そして、その通りにあっという間に庭園に立ち、
ほんの10分ほど緑に囲まれる。
以前は、人も行き交う庭園で安らげる筈はない、と考えていた。
わざわざ行く気が起きなかった。
今は、デジタルよりもほんの少しでもいいから、本物に触れたいと思う。
そして、行ってみると背の高い木々にかこまれて、五感が癒され、刺激され、導かれる。そんな思いがする。
2025-03-18 18:49:00
デジタルウェルビーイング機能を使って、
何度か寂しさのショックを受けたが、
それすらもだんだんと慣れていき、別の代わりの興味を探すようになった。
私の場合は、スマホ依存症になる前に好きだったことを、
徐々に思い出していった。
依存症なんて、下らない事に違いないが、
自分の苦手を克服したというだけで、自信が戻り
人と会って話す時にも安心感がある。
人はこんな爽快な体験のために、わざわざ自らを依存症にし
また依存症になるようなきっかけをも作ってしまうのかもしれない。
とまで思った。
2025-03-17 18:44:00
私がスマホ依存をやめるきっかけになったのは、
デジタルウェルビーイングという
スマホに内蔵されている機能のおかげで、
アプリの使用に制限時間をかけることができる。
2時間くらいだらだらと観ていたアプリも、
よくよく考えれば20分くらいの視聴予定だった。
いざ、20分経ってみると、あっけなくて、寂しくて、
こんなにさみしい世界に自分は住んでいたのかと、
涙が出そうになった!
そして、自分達はもしかしたら「面白いから」見ているのではなくて、
物凄くさびしいから見ていて、
何を知りたいかというと、
「この世は、安心していい場所なんだ。」という事を
もう一度確認したくて見ているんじゃないかと思った。
こんな、誰かのお土産になるために絵を広めている訳じゃないのだが。
これでも安心していいなんて、どういう事なんだろうか?
視点が、少し変わる。心に新しい風が入る。
大丈夫だ、そうだ、ここから次のチャンスを創造できると、閃いて始めたんだった。
そこへ向かっている。そんな気がする。
2025-03-16 18:34:00
依存症から抜け出す方法を調べたところ、
麻薬と同じ脳の反応で、依存してしまうそうだ。
このような毒にも薬にもなるスマホが、ないと生活できない社会を作ることに
改めて疑問を感じる。
そして、こんな成人さえ依存してしまうのに、
未成年者にも持たせることは危険だと感じた。
2025-03-15 18:27:00
実は、スマホ依存症から抜け出せなかった。
仕事終わりに、ついスマホに手が伸びてしまう。
使用時間を制限するまで半年以上もかかった。勇気が出なかった。
人生の終わりに後悔する事がリストアップされているが、
(例えば、やりたい事をやれば良かった、とか着たい服を着れば良かったなど)
私達の世代は、「あんなにショート動画を見なければ良かった。」になるかと思う。
私は水墨画をもっと世に広めたい、と思っているのだが、
日本旅行のついでの観光目的でクラスに来られると、
やはりどっと疲れる。
やるせない気持ちと闘えなくて、ついスマホの賑やかな画面を見てしまっていた。
2025-03-14 18:26:00
先日の細見美術館では、掛け軸の表具がいかに、
作品の見え方に影響しているかを研究する
恰好のチャンスだった。
まさに、溜飲を下げに下げまくる想いで、
構図と表具の連動性を感じてきた。
私は、実はもう四角い額に入った絵の世界に
辟易しているひとりだ。
掛け軸の世界の新鮮さ、アイデアの豊富さ。
掛軸には尽きない面白みがある。いつまでも実験を重ねられそうだった。
現代のお軸は成立する、と思った。
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現代の部屋に掛け軸をかけて、
困るのは傍を通れないこと。
では、通らせなければいい。
そのひとスペースは、自分のための、自分を表現するための場所、というのを
設えればいいのだ。
「ひとしつらい」とでも称してみるとします。
そこは、室内の内とも外とも、和合して繋がったりできる世界で、
今の自分のステータスを再確認したり、進歩を促したり、
自らが自らを慈しむ事を覚えたりする場所。
そこには、たて長の掛け軸がかかり、
下から上へ理想を見上げるように、
また理想の方からも、温かなまなざしで見つめてもらえるようにする。
宗教のない時代の、これは新しく、自分の精神を手入れする方法。
外界を尊重することも両立するという、
本当、これ以上なく、これからの時代に必要になる。
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いろいろ想像ができてきた。
通常の掛け軸の縦半分のサイズ。
軸棒には、なにか携帯ストラップのように、小さいものをいくつも吊るせるように。
あくまでも自己表現としての掛け軸だから。
表木と天地の天は、強化しておく。
表木も太く丈夫にしてもいい。
中回し、柱の布は、オリジナリティを高められないと。
オーダー印刷が可能なコート紙へ。
などなど。
2025-03-13 20:28:00