琳派研究/Rimpa study
それから、「日本画家と学芸員のための、0から始める付け立て画」といった様な
絵画鑑賞の手引きにもなる、付け立て画の塾を開きたいものだ。
鈴木基一の月次花鳥画帖は、とてもいいテキストだった。
絵もシンプルに洗練されているし、色を使って描くのでも大変にためになるテキストだった。
江戸時代の江戸琳派の画家たちが、どのような方法で習得していたのか、
十分にうかがい知ることができた。
私も、展示から帰ってきてからは、日々、当時のテキストを模写し、
検証を行っている。
書いてみなければ、発見できない美の技術があり、
今までが怠慢だったと、少々悔やまれている。
2025-02-21 15:46:00
先日の、細見美術館での雨華庵の画家たちの展覧会では、
6世抱道先生の遺されたテキストが、どれほど優秀なものなのか、
比較することによって改めて理解できた。
そこで、これからはやはり、抱道先生の手本を中心にし、
他の雨華庵の画家たちがどのようにオリジナリティを発展させていったのかを
解剖していこうと思う。
意味を持たせようとすると、壮大な問題意識や社会風刺を込めたりしがちだが
だた山が緑で山がきれいだとか、それで十分に美しいと思う。
2025-02-20 15:46:00
雨華庵の掛け軸作品を描き写しながら見ていたら、
効果を得るために、大変に数学的な計算の下に
構図が決められているのがわかった。
掛け軸という、縦長の用紙の中央をどのように処するか、
気を配っていた。
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しゃがんでみるのと、立ったままみるのとでは、
全くちがう絵になる。
展示室では、立ったまま見るばかりだが、
実際の掛け軸は床の間にかけて、
座して見上げるものだ。
見上げた時に、遠近感を感じさせ、
下から上へ立ち上がる生命の力強さを表わし、
他には、人物の精神性の高さ、花の香など
伝えるのに適した構図の効果を狙って
計算して描かれている。
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これからの展示も、
上から高い位置に吊るすとか、ベンチを置くとかして、
座してみる掛け軸の世界のすばらしさを伝えるような
展示にしてもらえたら、どんなに良いだろう。。。
金箔の上に描かれた屏風絵も、
照明をおとして、LEDでいいからゆらゆらと揺れる手燭風の光の中で
妖しく輝く金色をみてみたい。と思う。
2025-02-16 15:57:00
3日目に美術館を訪れた時に、受付の中の人々に
あの人また来た!とどっと笑われてしまった。
非常に恥ずかしかったが、
展示室で1~2時間過ごしながら、とうとう肝が据わった。
私は私の命題を受けて、今ここに研究しに来ているのである。
この恥ずかしさも、広い世の中で私一人だけが味わっている感情だと思えば、
贅沢な話ではないか。
13億人いて、私一人が味わっている感情である。これは贅沢なんだ。と
思った途端に、すっと気持ちが収まった。
あとは、展示に集中できた。
何はともあれ、私は琳派のテキストを編纂し直せたら良いと思っている。
この古典絵画を、プロになる者は習得し、手習いにするものは
より深く絵画を理解し敬愛するような、
そんなプログラムを構築したい。
最近そんな命題をかかえていた私にとっては、解答が目の前に並んでいるような
気がしてきて、
「ひょっとして、これは私のための展覧会なんじゃないのか?」と
ちいさく何度も思った。
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6世抱道先生の遺されたテキストも、どれほど優秀なものなのか、
比較することによって、改めて理解できた。
2025-02-14 15:41:00
抱祝のテキストもものすごく良かった。
帰宅して、早速「水流に鯉」、基一の「福寿草」、基玉の「燕子花」、「筑波山」など
小作品に描いた。
このどきどきと満足する事といったら。
3日間で2冊に亘ったノートは、生涯の宝物だと思う。
最近はいつも携帯して歩いていて、枕元に置いて寝ている。
携帯電話とこの時のノートだったら、
ノートの方をとるかも知れない。
これからも、美術展は、この描きながら見るスタイルで行こうと思った。
今まではただ見るだけだった様なものだ。
惜しかった、と思う。
2025-02-13 15:05:00
雨華庵のテキストだが、現存するものからも十分に、
何を学習課題として作られたかがよく分かる。明瞭な、非常に優れたテキストだった。
鈴木基一の手本はとても良かった。
福寿草の図が展示されていたが、描き順、構図、対比、絵の具の配合、用い方、基礎の筆法など
凝縮されていた。
これが、10年程前にもサントリー美術館での基一展で同じものを見たが、
その時は自分は教え方にこだわる程の余裕はなかったし、
ただ見ていただけだった。
今回は図録がないので、今しか見られないと思って、必死で
ノートに書き写した。
使っている色の名称、混ぜた色の名称など、どんどん書いていく。
書きながら、気付いていく事って、多いものだ。
と改めて思った。
基一のテキストとしての工夫が、びしばしと感じられた。
そして、こんなテキストをつくれる基一の、絵画表現に対する理解の深さに
舌を巻いた!
2025-02-12 15:00:00
2月2日まで開催されていた展覧会、「江戸琳派の雨華庵の画家たち」は、
私にとって非常にタイムリーな展示だった。
4日間を連続して通い、図録がないのでノートに書き写した。
今度いつ会えるかわからない作品ばかりである。
雨華庵6世の時に、琳派のテキストが
一般大衆に絵画そのものを教えるために用いられて、
雨華庵の伝統そのままが伝わらなかった。
そのため、今後の命題のひとつとして、
雨華庵の正統な学び方に近い形を模索し、プログラムを編纂し直すことが
必然であるように思えていた。
そんな時に開催された、この展覧会で、
雨華庵の画家たちが作った教本も拝見でき、
多くの示唆を得られたと思う。
本当にありがたかった。
2025-02-11 14:48:06
1月の終わりに、京都に行った。
歴代の雨華庵の作家達の展覧会が催されていた。
大先輩の華麗なる足跡。
もうこのような展覧会は2度とないだろうと思い、
とても楽しみにしていた。
知人のつてがあり、細見美術館様の方からご招待券を頂いたのも、有難い事でした。
残念なことに、雨華庵は5世を以て終焉!と
これでもかと書いてあり、
美術館でひとり苦笑してしまった。
あと100年後には、こう書かれていたいものだ。
「細々とやっていて、明らかに馬鹿にされていたが、
きれいな軌跡を描いて、またまた復興していた。」
「復興するとは、時代に合わせて変容する時であり、
復興する前には、一旦勢いが弱くなるのは摂理である。」と。
私は江戸琳派が連綿と繋がっているのは、
需要と時代に合致しただけではないと感じる。
抱一という人物が、その巨きな心の器を以って
琳派の手法で表現したところでは
琳派も抱一も、一切の生命も、大自然も
同じ宇宙の延長上にある、運命を共有する同一のものだ。
果たして、このような事が成立するのかどうか、
実験ともいえる検証を行うように
次の世代の人間が江戸琳派を受け継いでいる。と思った。
それは北斎のように泥くさくアクセクしていないとしても、
アクセクしないで済むという精神的な次元があるのだから、仕方ない。
それを大名の子息の手すさびと一刀両断するのでは
手すさび程度のものが、どうしてこうも真剣に受け継がれてきたのか、
説明できるのだろうか。
いくら時代の需要があったからと言っても、
一貫して受け継がれる江戸琳派の画風までは
理屈では処理できないだろう。
2025-02-03 10:33:00
先日の日本画クラスで、通ってきているフランス人の生徒さんが、
デッサンのフランス語の発音を教えてくれて、
大いに沸いてしまった。
「デサーンジュフ…」と「でっさん☆」と、
なんと違うのだろう。
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今まで、デッサンをする時、習ったように
「軽い気持ちで、シュシュっと、形をとって、大まかに。
興味のあるところを描き、細部を描き。なるべくたくさんの枚数を描く。」
とやってきたが、
こんなのは子供向けのやり方だったんじゃないかと、急に思えてきた。
最近、レモンやスイートピー、千両や、チューリップの原種を描いているが、
神と対話しているように思えてくる。
デッサンは神との対話に他ならない。
自然の法則が、神の工夫と叡智が感じられてくる。
自分自身と、この人生のなかで、どれほどヒントになる事だろう。
気持ちがおちつく。
何も解決していないのに、幸せになる方向に行くのが決定しているのを、知ったかのようだ。
何も解決していないのに、落ち着く。感じる。信じていいものを。
そして、その日その時描いた花が、
また明日も同じ形状でいる訳ではない。
神の神秘を、紙面に移動させてくる。これこそが神秘的な作業だと思う。デッサンだ。
そして、まるで自分だけの植物図鑑を作成するように、
レパートリーを増やしていき、
あとで組み合わせて、何通りもの作品に使っていく。
畏れ多くもあるが、しかし画家の生業だから、これは仕方ない。

2025-01-30 10:20:00


国立博物館150周年記念の、国宝展に行って参りました❣️
①本阿弥光悦の「船橋蒔絵硯箱」
盛り上がりを真横から見たくて、見たくて。
ついに4面ガラスケース展示のおかげで実現し、
人が少ない時に4方向からスケッチまで
この曲線。辿っている時の愉悦感といったら。
美とか芸術性とか、難しい理屈ではなく。
また見る角度によって微妙にラインが違うところが美味しい。

②長谷川等伯の「松林図屏風」
今日1日で4回も観に行き、スケッチまでできてしまいました。
今年は特に夏以降ずっとお稽古しているので、よくよく観察が行き届きました。同じ松の形が、高低をつけてリピートして使われています。不思議な一体感を造りますと同時に、却って松が人のようにも見えてきます。+ 神のような存在感を放つ白い山が、リピート構図に意味深さを加えています。
この形式、どこかで!
そうです、尾形光琳の「燕子花図屏風」。
しかも、等伯の松の枝の描きかたですが、独特なので、光琳も採り入れ、抱一もめちゃくちゃ採り入れていて、松も梅も桜の枝も同じ様に描いたりしてます。
尾形光琳の「燕子花図屏風」の原案を発見した想いがいたしました❣️

I went to the National Treasure Exhibition at 150th anniversary of the National museum in Ueno, Tokyo.
1. Koetsu's box.
I finally could do sketch this from side view of all 4 corners. Tracing lines of the super curbs of this box was so much fun, Fun, just FUN is the most correct word to say about it. The line is different depending on the direction of the view which was also amazing.
2. Tohaku's pine grobes.
Using the same pine tree shapes repeatedly.
This form has been continued by Korin Ogata's the Irises, I thought.
The brush stroke for brunch in the Tohaku painting is often seen in Korin's and especially Hoitsu's paintings. In Hoitsu's, the same line turns into pine, ume and sakura trees.
I think it could be a base idea for the Irises.
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2022-10-20 01:42:53