光悦の能面「山姥」

光悦の能面「山姥」

先日、新装オープンした畠山美術館での展示を堪能してきた。

素晴らしい酒井抱一先生の作品がたくさんあって、抱一先生とデートでもしているような、
夢のようなひとときであった。
美術館でお借りした鉛筆でノートをとり、さっそく帰宅して制作に採り入れた。

---

本阿弥光悦が制作に携わったのか、自らノミを握ったのか
定かではないが、伝光悦という能面が展示されていた。

こちらは息を呑む、同時に、その能面のほうは息を吸うような具合で、
能面の裏側は宇宙と続いていて、
ひとたび吸い込まれたら、もうお母さんのいるこの世界へ戻って来られないのではないかと、
心配になるような物凄い作品だった。

その表情というのが、また、すっきりしている訳ではない  。
煩悩のこの世界にあるだけの数をすべて体験し尽くし、呑み込み尽くしたら、あるいは
このような一丸と成りえるかもしれない、という相だった。

あの、うつくしい、繊細な作品をたくさん残す光悦にして、
これ程の強く悶える悩み、苦しみと直面して生きていたのである。
この能面を打とうと思い立ち、打ち切ってしまうほどの。

琳派のアートは優しい風情が多く、そのために
きっとおもしろく可笑しいことを想う人たちだったのだろう、などと
解釈されがちなのが、残念だ。

この私達の時代には、彼らの想いを想像できるようなものが、
ないのだろう。

あの、戦国時代の真っただ中、
武将たちと近くにいて、武将ではなく、
たくさんの地獄を生きながらにして見てきたのだろう。
あの能面に現れている(と思える)光悦の背景は、
これからも琳派の作品を見る上で、心に留めて置こう、と思った。
それが、人としての誠実さのように、私には思える。


 

2025-03-11 19:55:00

教室でのお話/Talikng in classes